喋りすぎる猫

【ミドル編】

ふわふわノスタルジー①Back To 1973!!

「ふわふわノスタルジー」へようこそ!

この「ふわふわノスタルジー」は、今年50歳になるわたしが、同世代の女の子達とただただ昔を懐かしむコーナーとなっております。
女子特有のお話がどんどん逸れていくシステムも、ちゃんと導入しておりますのでご安心を。


わたしと同世代とは?
具体的には、ベビーブームど真ん中の昭和47年~昭和49年に生まれた人達。
+前後1~2歳くらいかな?


少し前に、クラウドソーシングサービスでアンケートを実施しました。
昭和46年~昭和50年生まれの女性限定で、回答をお願いしました。
同世代の女の子達の声を集めるためです。
多少お金は掛かりましたが、とても素敵な回答をたくさん頂けました。
ご回答下さった方々、ありがとうございます。
これからどんどん使っていきますのでお楽しみに。


このブログのポリシーは、ふたつ。
・思い出を美化しないこと
・格好つけないこと


ノスタルジーっていうと、無駄に感傷的になりがち。
ついつい、美しい言葉を探してきて、安っぽいポエムのように並べてしまいそうでになるでしょ?
そういうの、いらない。
どうでもいい見栄を張るのも、ばかみたい。
普通に話そう。普通に。


ということで、記念すべき第1回目の「ふわふわノスタルジー」
わたしが生まれた昭和48年とは、1973年とは。一体どんな時代だったのか。
まずはそこから紐解いていこうと思います。


もちろん、当時の記憶なんかありません。
生まれたてのホヤホヤですもの。
懐かしい以前の世界です。
未知の世界といってもいいでしょう。
父も母も、現在のわたしよりもずっと若い。


50歳になったわたし。
よく考えなくても、当時の祖父母と同世代。
認めたくない事実にぶち当たりましたが、そこは華麗にスルーいたしましょう。


では。
わたしの知らない1973年。
見ていきましょう。
たくさんの出来事、流行などありましたが、その中からいくつかピックアップしてみました。

1973年、こんなことがありました(知らんけど)

オイルショック

1973年といえば。オイルショーック!!
これは外せないでしょう。
教科書にも載ってましたね。
第一次オイルショックと呼ばれる景気の悪化、インフレは、第四次中東戦争の影響で灯油の価格が70%も上昇したことで起こりました。
経済不安から、日本中でトイレットペーパーや塩、砂糖、洗剤などの買い占めが蔓延り、大きな社会問題となったようです。


わたしは大人になってから、「サザエさん」でも見ました。
テレビアニメじゃなくて。長谷川町子さん原作の、4コマ漫画の方ね。
教育ママ、転じて集会ママ、転じて行列ママ…という風刺的なオチでした。
トイレットペーパーを買うために、長い行列が出来ています。
「サザエさん」は、戦後~昭和中期、中後期までの人々の暮らしを知る資料として、かなり優秀。
わたしは1994年に発売されたコミックスを全巻持ってまーす。


当時の様子は、もちろんネットでも確認出来ます。
「オイルショック」で画像検索してみると、すごいですよ。
スーパーやデパートに、人々が大挙して押し寄せています。
ほとんどが主婦と思われる女性。
「トイレットペーパー  お1人さま1個限り」の文字がでかでかと掲げられていて、もう必死の奪い合い。


中曽根さん(当時、通産大臣)がテレビ番組で紙の節約を呼びかけたことで、「紙がなくなるらしい!」という噂が駆け巡り、この事態に陥ったとのこと。
似たようなこと、ありましたよね。数年前に。
群集心理、恐ろしや。


ところで、わたし今改めて気づいたことがあります。
あんまり言いたくないんだけど。
カッコつけないと決めたので、言うね。
うちのトイレ、トイレットペーパーじゃなかった!
いわゆる「落し紙」を使っていました。


昭和50年代初頭。
トイレットペーパーは一般的に普及していたと考えられますが。
うちは落し紙だったのです。


当時のわたし。
関西の某市で、父・母・わたしの3人家族で暮らしていました。
父は板前、母は内職。


家は平屋の公営住宅で、2DK
築年数はかなり経過していたと思います。
そのせいか、どこの家も好き勝手に増改築しまくっていました。
うちも当たり前のように6畳間を1つ建て増しし、窓の下に盛り土をして物干し竿を立てました。
小さな庭にコンクリートブロックを組んで池を作り、近くの小川から水を引いて、鯉をたくさん泳がせていました。
葡萄用の棚が作られ、葡萄に飽きたらキウイを植えていた記憶があります。
犬小屋もありました。


やりたい放題ですね。
つぎはぎだらけの魔改造住宅。
DIYの見本市みたいな地区でした。
現在はすべて取り壊され、5階建てのまあまあいい感じの団地に生まれ変わっています。
入居は抽選でしたが、父と母はちゃっかり当選。
お陰様で快適に暮らしております。


さっそく話が逸れましたが、問題はトイレです。
わたしの住んでいた公営住宅のトイレは、和式の汲み取り式。ザ・昭和!
男性用便器も兼ねているため、便器は1段高い位置にありました。
しゃがんで使う時には「よいしょ」とステップを上がります。
洋式便器をはめ込んでいる家もありましたが、自己満足ですよね。だって、それで水洗になるわけじゃなし。


床は年季の入った板敷きで、壁は冷たいコンクリートでした。
そのままだとあまりに寒々しいので、各家でクッションフロアとかリメイクシート的なものを敷き詰め、オシャレで明るい雰囲気になるよう工夫がされていました。
道路に面した小さな窓と、水がちょろちょろ流れる申し訳程度の手洗い器。
なんとも貧乏くさい、公営住宅のトイレでした。


トイレットペーパーホルダーなど、最初からありません。
調べてみると、どうやらトイレットペーパーは、水洗トイレとセットで導入されるものだったようです。
なるほどね。


トイレットペーパーに比べると、落し紙の設置はテキトーなものでした。
落し紙ホルダーとかケースなんてものはないのです。
念の為Googleと楽天市場で検索してみましたが、見つかりませんでした。
落し紙のサイズ、A4くらいでしょうか。
それがちょうど収まるくらいの、平でオープンな箱とか缶とか。各家で用意するものでした。
それを右手奥の角に置くのが一般的なスタイル。


我が家がトイレットペーパーを使うようになったのは、わたしが小学校3~4年生の頃だったと思われます。
コンクリートの壁に、ある日プラスチック製のホルダーが貼り付けられました。
これが今思い出しても、ぜんっぜん可愛くないんですけど。
画像探してみたら、ありました!!


楽天市場で「昭和なペーパーホルダー」として販売されていましたよ。
懐かしいー。
「昭和な」じゃなくて、正真正銘「昭和の」でしょ。と突っ込みたくなっちゃうわ。
何十年前の在庫やねん。
※住宅設備機器のcoordiroomさんのお店から画像お借りしました。

「ノストラダムスの大予言」が出版される

ノストラダムス!!
1973年の11月に出版されています。
1999年に人類が滅亡するっていう、あれですよ。
しませんでしたけど。
「ちびまる子ちゃん」でも大騒ぎしてましたよね。
まる子は1965年生まれなので、「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなった1974年には小3です。
「ちびまる子ちゃん」のお話の時代設定に、ぴったりハマってますね。


わたし自身は、あまり印象に残ってない。
80年代~90年代にも、時々テレビでやっていたようですから、薄っすらと記憶には残ってますけど。
まる子世代ほど深刻には受け止めていなかったと思います。


わたし達にとって、世紀末とは…
そう、「北斗の拳」!!

199X年。世界は核の炎に包まれた。文明社会は消え去り、世界は暴力が支配する弱肉強食の時代へと突入した。それから数年後、一子相伝の暗殺拳である北斗神拳の伝承者となったケンシロウは愛する女性ユリアと共に旅に出る…

※北斗の拳OFFICIAL WEB SITE より引用させて頂きました。


週刊少年ジャンプで「北斗の拳」の連載がスタートしたのは、1983年の9月のこと。
わたしは10歳。
まる子より1つ大きい小4です。


翌年にはアニメ化され、オープニングテーマ「愛をとりもどせ!!」とエンディングテーマ「ユリア…永遠に」が、小学生の間で大ブレイクしました。
ちなみに歌っていたのは、「大都会」のクリスタルキングさんですよ。


昭和のアニソンって、名曲が多いと思いません?
「CAT’S  EYE」「TOUCH」「花のささやき」「鏡の中のアクトレス」「ラムのラブソング」挙げ始めるとキリがない。
「ハイスクール奇面組」のテーマは、うしろゆびさされ組が歌ってましたね。
ゆうゆ、可愛かったなー。


何十年も昔の話です。
あのオープニングも、あのエンディングも、もう二度と聴くことはないと諦めていたけれど…
YouTubeであっさり聴けちゃいました!
このささやかなタイムスリップを、最初は奇跡のように感じたものです。
インターネットって素晴らしい。
アップしてくれてる人、ありがとう!!
世紀末を乗り越え、長く生きてきた甲斐があったってもんですよ。

ツクダオリジナルからオセロゲームが発売される

うちにもありました。オセロ!
オセロは、1973年に日本で誕生したボードゲームです。
外国生まれだと思ってる人、多いのではないでしょうか。わたしもそうでしたから。
「オセロ」というネーミングも、シェイクスピアの戯曲に由来しているといいますから尚更ですね。
日本ぽくない。


オセロをボードゲームとしてデザインしたのは、ボードゲーム研究家の長谷川五郎氏。
1973年にツクダオリジナルから発売され、大人気となりました。
1976年には「オセロ」で商標登録もされています。


でも実は、オセロとほぼ同様の「リバーシ」というボードゲームが、18世紀のイギリスで考案されています。
オセロとリバーシの関係、つまり長谷川五郎氏がリバーシをパクったのかどうかは、不明。とのこと。
モヤモヤしているそうです。
ご本人の言い分が二転三転していて、「リバーシを改良した説」「碁を改良した説」「学生時代に独自に考案した説」があるのだとか。
なんだかね。「フフッ」てなりますね。


ところで、ツクダオリジナルという会社。
わたしは「あー聞いたことある」程度だったんですけど、すごいんですよ。
オセロの他に、なんとスライムとルービックキューブも発売してました。
スライムはアメリカ、ルービックキューブはハンガリーからやって来た玩具なのだそうです。
どちらも昭和を代表する大ヒットアイテムですね。
ひっそりと流行ったマジックスネークも、調べてみるとツクダオリジナルでした。


現在、ツクダオリジナルという玩具メーカーはありません。
母体であった株式会社ツクダの倒産を受け、色々あって。バンダイの傘下に入ったそうです。
メガハウスという会社の1事業として、相変わらずオセロとルービックキューブの開発、販売をされてるんですって。    


わたし達は、忘れないでいましょうね。
まだまだ楽しみが少なかった昭和の日本に、あんなに夢中になれるおもちゃを届けてくれた、ツクダオリジナルという玩具メーカーがあったこと。

1973年に公開された映画

配給収入ランキングを見ると、邦画は893映画が多いですね。
トップ3には入らないものの、トップ10には4作がランクインしております。

4位山口組三代目
7位仁義なき戦い
8位仁義なき戦い 代理戦争
9位仁義なき戦い 広島死闘篇


「仁義なき」シリーズは、わたしNetflixで3作とも観ましたよ。
3本とも1973年に公開の作品ですが、シリーズ第1作「仁義なき戦い」の時代設定は戦後1年!
舞台は広島県の呉市。
焼け野原から力強く立ち上がろうとする人々の混沌と、暴力による新しい勢力が形成されていく様子が描かれています。
タイトルバックに使われているいるモノクロの画像も、戦中・戦後の日本を撮影したものだったりしますので。
わたし達の知っている893ムービー(極妻とか)とは、ひと味違いますね。


主演は菅原文太さん。
冒頭のシーンでは、道端にしゃがみ込んで牛乳を飲んでいます。
頭には兵帽。兵帽ですよ。
戦地から帰ってきた若者、という設定。
この若者の名は広能昌三。
後に勃発する「広島抗争」の主要人物の1人となっていくのです。


原作は週刊サンケイに連載されたノンフィクション。
元893の美能幸三氏が、獄中で7年を費やして書き上げた手記をベースに、作家の飯干晃一氏が解説として当時の状況を書き加えたものだそうです。
この連載が始まったのが1972年の5月19日号。
翌年の1973年には映画が3本も公開されているのですから、勢いがすごいですよね。


ところで、わたしの大好きな「寅さん」は?
1973年の8月には、シリーズ第11作「男はつらいよ  寅次郎忘れな草」が公開されているはずですけど!
配給収入を調べてみますと、9億1000万とのこと。
わたしが今回参考にした1973年の邦画ランキングにはなぜか入っておりませんが、4位の「山口組三代目」と5位の「戦争と人間  第三部  完結編」の間くらいです。

ashitatenkininaare.com

1973年に放送がスタートしたテレビアニメ

「バビル二世」「改造人間キャシャーン」「ドロロンえん魔くん」「エースをねらえ!」「キューティーハニー」などがあるようです。
当然ながら、どれも「世代が一つ前」感。でも知っている!


何度も繰り返し再放送がされていて、小さい頃に観たのでしょう。
おぼろげながら、記憶にあります。
インパクト強めだった「バビル二世」のOPテーマは、今でもなんとなく歌えるものの、主人公の超能力少年のビジュアルはまったく浮かんでこない。
画像検索してみても、こんな人知らない。
学ラン着てるし!


「キューティーハニー」といえば倖田來未。
「エースをねらえ!」の雰囲気だけはつかんでいる。
「改造人間キャシャーン」は4つ年上の夫(仮)から話を聞いたことがある。
「ドロロンえん魔くん」の詳細は語れないけど、確かにテレビで観た。
こんな感じですかね。
「ドロロンえん魔くん」の作者が、「キューティーハニー」の永井豪さんだったことは今知りました。


では、このもうちょい後。
わたし世代の記憶に残っている、懐かしいアニメといえば?
小学校に上がる前あたりがいいですね。
1978年に放送が開始されたアニメ番組をざっと見てみましょう。


「宇宙戦艦ヤマト2」「銀河鉄道999」「科学忍者隊ガッチャマンII」「はいからさんが通る」「ペリーヌ物語」「魔女っ子チックル」「まんがこども文庫」「まんがはじめて物語」「未来少年コナン」などがあります。
わたし、チックルちゃんは存じ上げないんですけど。こちらも作者は永井豪さん。


「バーバパパ」と「ヤッターマン」は1977年。
「赤毛のアン」「ドラえもん」「花の子ルンルン」「ベルサイユのばら」は1979年。
「魔法少女ララベル」は1980年。
わたしが大きくなってからも好んで観ていた「ふしぎなメルモ」は、なんと1971年~1972年に放送されていたのだそうです。
生まれる前だったんですね!


「トムとジェリー」「ベティーちゃん」「ポパイ」も楽しみでした。
こちらもわたしの生まれる前からテレビで放送されていました。
アメリカの子供向けアニメですが、50歳のオバサンが観てもたいへん愉快。
中でも「トムとジェリー」は何回観ても飽きることがなく、ヴィレヴァンや100円ショップでDVDを見つけるとつい買ってしまいます。
彼らの本名、知ってます?
トーマス・キャットとジェロム・A・マウスですってよ。

お話は尽きませんが…

まだまだあるんですよ。ありすぎてまとまらない。
わたしの独断で話題を選んでおりますので、情報に偏りがあるのはごめんなさい。


百恵ちゃんが歌手デビューしたり、漫画「はだしのゲン」の連載が週刊少年ジャンプでスタートしたり。
アース製薬からゴキブリホイホイが発売されたり。
レオパレス21の前身となる会社や、セブンイレブン(当時はヨークセブン)が設立されたり。
日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件が発生したのも1973年です。


掘れば掘るほど、面白そうなものがどんどん出てくるので困ってしまいます。
50年前の日本。わたし達の知っている世界にちゃんと繋がっていましたね。
ここに載せられなかった1973年は、またいつか。別の機会にいたしましょう。


次回からは、アンケートの回答も参考にしながら話題を広げていきますよ。
どこかの誰かさんと、「懐かしい!」を共有出来れば幸いです。